コロナ禍の中で、「災害に向き合う民俗学」を考える

『柳田国男と今和次郎 災害に向き合う民俗学』畑中章宏

疫病をこえて 人は何を描いてきたか

コロナ禍真っ只中の今年の4月、NHKの日曜美術館で「疫病をこえて 人は何を描いてきたか」という回を見ました。「疫病」をテーマとした美術をとりあげ、人間がどのように疫病と向き合い乗り越えてきたかを探る内容の放送でした。日本では、「疫病」を〈鬼〉の姿で描いた絵巻を例に、、「疫病」を可視化することで制御し、折り合いをつけてきた歴史が語られていました。

絵画と共に、祭り、仏像なども、人々の心のよりどころになっていたようです。西洋では疫病(ペスト)の流行を経て、ルネサンスが起こったことから、社会の革新的な変化を促す側面もあることも・・・。日本の「鬼」にあたるのが、海外だは「悪魔」になることが、とても宗教的な感じがしました。

コロナ禍の中で、「災害に向き合う民俗学」を考える

以前読んだときは気がつかなかったのですが、『柳田国男と今和次郎』というこの本も、サブタイトルに『災害に向き合う民俗学』とあることに気づいて、改めて読み直してみました。この本で書いてある「災害」とは、主に地震や飢饉なので、今回のコロナのような『疫病』についての直接的な内容はありませんでした。

1600年代から1800年代まで300年間の凶饉回数は224回

比較的記録の残っている1600年代から1800年代まで300年間の凶饉回数は224回で、4年のうち3年は大きな被害をもたらされていたそうです。そういえば、私が子どもの頃までは、よくニュースで「今年は冷夏で、米の作況指数が何%だ〜。例年にくらべて・・・」などと、かなり重要問題として話題になっていましたが、最近はあまり聴かなくなりました・・・。東北地方の凶作、不作は、主として凶冷(夏期の異常低温)によるものが多いようですが、洪水、干ばつ、虫害、大風などの被害も少なくなかったらしい。

「家」から日本人の変わらない生活を考える

柳田は「家」というものが、そこに住む人の心性に大きな力をおよぼすこと、また「家」の構造を深く見ることによって、日本人の生活の、変わることのない重要な何かがわかるのではないかと考えたそうです。飢饉を原体験にもつ柳田や今の民俗学に、伝承に迂回しながらも、現実に生きる人々の救済を目指す意図があったということが理解できました。

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