埼玉県入間市の新築木造住宅は建築設計事務所/独楽蔵へ

【阪神・淡路大震災から28年】住宅を設計する上で大事にしていること

阪神・淡路大震災の際の経験

今年(2023年)で阪神・淡路大震災から28年だそうです。当時の私はゼネコンに入社して、まだ3年目。江東区錦糸町の大きなマンションの現場で現場監督をしていました。被災地は、専門家や作業員が不足していて、全国からたくさんの専門家が応援に集まっていました。私も震災から1ヶ月経った頃、会社から応援の人員として、約1ヶ月の期間、被災地に派遣されました。

震災による火災で焼け落ちたアーケード(神戸市長田区)

私の派遣先は豊中市役所になりました。市の職員さんと一緒に、被災された市民の住宅に伺って、壊れた家の現状調査を行なって、全壊や半壊などの判断する役割です。市役所の担当部署(建築指導課)には、全国から他のゼネコンの社員の方々もたくさん集まっていました。

ワンフロアが潰れてしまった神戸市役所

作業をこなすことに精一杯だった当時

当時は入社して数年で、経験も浅く、鉄筋コンクリートの建物しか見ていなかった私が木造の住宅の状態を判断してもいいのだろうかという不安もあったり、家族の財産である「家」の価値を判断する重圧を感じていたように思います。しかし、ただただ、目の前のおびただしい数の瓦礫に圧倒されて、作業をこなすことに精一杯だったような気もします。

1階の駐車場部分(ピロティ)が潰れてしまったマンション

応援に行っている間は、尼崎市に会社の資材置き場があって、その中に作られた飯場(はんば)で寝泊まりをしていました。飯場(はんば)には、全国から集まった同じ会社の社員さんたちもたくさんいて、朝になると、それぞれ違う現場に出かけていきました。最寄り駅(園田駅)まで、川沿いの遊歩道をイヤホンでラジオを聴きながら歩いていました。当時はラジオからスピッツの「ロビンソン」やMy Little Loverの「Man & Woman」がよく流れていて、今もその曲を聞くと当時の光景が蘇ります。

家は災害から身を守るシェルター(避難場所)でならないといけない

現在は家や様々な建築の設計をするようになりましたが、当時の経験はずっと脳裏に残っています。ですから、自分が設計する上では、家は災害から身を守るシェルター(避難場所)でならないといけない。そして、家自体も財産なので、丈夫で耐久性があるべきだということが一番優先度の高い信条となっています。デザインをする上で、なるべくアクロバティック的な手法は取らずに、構造的に安全になるように心がけています。それは古い住宅をリフォーム/リノベーションするときも同様で、直す前よりも耐震性が向上するように計画しています。

ズレた高速道路と沈んだ神戸港

建築設計事務所 独楽蔵(こまぐら)では、新築のペットと暮らす木造住宅はもちろん、庭づくりや古民家や中古住宅のリフォーム、リノベーション、現況調査や耐震補強などのご相談もお受けしています。今、お住まいの住宅で、気になっている部分、ご不明な点や疑問点などあれば、電話やメールなどでお気軽にご相談下さい。

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