海彼(かいひ)から来た民族が亡くなると、再び海の彼方に還っていく(常世の国)

海岸に面した大規模な自然発生型の墓地【花見潟墓地 鳥取県東伯郡琴浦町】

海岸に面した大規模な自然発生型の墓地です。約2万の墓が東西約350メートルに渡って立ち並び、西日本では最大級の規模とされています。発生起源は不明ですが、中世後半以降と推定されています。

あの「怪談」で有名な小泉八雲も、ここを訪れたことがあるらしいです。 それも、新婚旅行で・・・。

墓地や寺社の場所選定には、時代を超えて残していくために、基本的に災害に遭いにくい場所が選ばれていることが多いと言われています。この海岸沿いの場所は、高波や津波など、水害、風害には、一番危険そうに思えますが(近くには高台もたくさんあるのに・・・)、中世以降残っていますので、当時から安全な場所だったと考えられていたのでしょうか?ちょっと謎です。

「怪談」で有名な小泉八雲も、1891年に松江市から訪れ、「霊気を感じた」」と記しています。墓地内にある高さ3m、鎌倉時代末期築造の石造宝塔は、この地域独特のもので、大分県国東の国東塔と並んで、地域色を出す石造美術として重要だそうです。国東は数多くの石造、石像の文化がありますので納得ですが、なぜ琴浦町に独特の石造宝塔の文化(数は少ないですが)があるのかも、ちょっと不思議でわからないところです。

昭和10年(1935)にこの塔を調査した故川勝政太郎博士により「赤碕塔」と命名された。高さ約3mの宝篋印塔の形式で、塔身だけは円筒形で宝塔に近い形式になっているなどの特徴がある。全体の構成が鎌倉時代の様式をよくとどめており、鎌倉末期頃の作と推定される。

海彼(かいひ)から来た民族が亡くなると、再び海の彼方に還っていく(常世の国)

海を渡って、海岸沿いの狭い平地に暮らした原日本人にとって、自分たちの祖先は海の向こうにあるという観念の場所であり、それゆえに人間と神が接する聖なる場所です。そしてまた海彼(かいひ)から来た民族が死んだら、また海の彼方に還っていく(常世の国)という祈りの場所でもあります。(『海岸線の歴史』松本健一より)

ですから、海に向かった墓地は、立地として日本人の根源的な心理を考えると、とても理にかなっているともいえます。

歴史を感じさせる墓石の数々

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