大分県宇佐市の木造平屋の食文化工房のデザイン

田んぼの中に佇む木造平屋建て 〜伝承料理の食文化を繋ぐ【生活工房 とうがらし】大分県宇佐市〜

大分県の北部に位置する宇佐市。八幡宮の総本宮である宇佐神宮で知られる通り、由緒正しき街並みと豊かな自然が調和する地域です。今回はそんな宇佐市の、広い空と青々とした田んぼを舞台に、木造平屋建ての“食文化に関わる実験的台所”を作る計画です。その名も【伝承料理の食文化・生活工房 とうがらし】。郷土の山野海川の食材を使った伝統料理や先人の知恵を受け継ぎ、伝えていきたいという施主である金丸佐佑子さんと、その娘さんで、現在は食のコーディネーターとして活躍されている神谷禎恵さんの大きな夢をかたちにしていきます。(大分県宇佐市)

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料理も食材も人の心も、繋ぐ台所〜郷土の食文化の豊かさを伝える【生活工房 とうがらし】の設計プロジェクト〜

砂浜に繁るハマボウフウ、野山に芽を出すノビルやツクシ。巡る季節の中でゆっくりと大地を見つめていると、自然の恵みを享受する日本の食が見えてくるような気がします。失われつつある往時の知恵を、現代の台所につないでいきたい。それが施主の金丸佐佑子さんの長年の思いでした。ならば、本当に台所を創ろう。それが、今回の計画のコンセプトです。郷土の山野、郷土の海川、郷土の食の豊かさを次の世代に伝えていく、まさに“台所の原点”を実践していくために、大自然の中の新築木造平屋建ての計画は進められていきました。

食文化を研究する工房は、すべての人に開かれた空間へ〜【生活工房 とうがらし】のオリジナリティ溢れる想い〜

大分県宇佐市の国造10号線沿いには、刈り入れを待つ稲穂が、重くなった頭を垂れています。金丸佐佑子さんによる「伝承食・生活工房 とうがらし」(現在は娘さんで食のコーディネーター神谷禎恵さんが主宰)は、その田んぼの中にあります。枕木の段々を上り、半円形のコンクリートの前庭に面した深い軒端をくぐると、正面は近代的な設備を備えた「今台所」。その左奥には、薪で煮炊きする竈や麺打ちの台などを設けた「昔台所」があります。時を超えた2つの台所、それぞれの存在価値を尊重しながら、食の世界を掘り起こしてみる。そういった実体験を経て、ようやく食の本質に近づくことができるという、金丸さん独自の視点から、この空間が計画されました。私的な工房でありながら、多くの人と食を繋ぐ、開かれた空間にもなっています。

古き良き時代をただ懐かしむだけでは、郷土の食を次の世代に繋ぐことはできない〜生活工房 とうがらしの設計にこめられた思い〜

「何をしてるの?ってよく聞かれるんです。でもね、一言では説明できないの」と金丸佐佑子さん。佐佑子さんは、高校の家庭科教師です。夫の寿雄さんも数年前に退職するまで、やはり高校教師でした。衣食住に関わる、あらゆることを学び、実践し、教える仕事を続けてきた佐佑子さん。そして次の世代に何かを伝えていくことの大切さを感じているおふたりだからこそ【生活工房 とうがらし】は誕生したのです。

「伝承食なんて言葉はあるかしら?誤解されるかもしれないけど、私たちが伝えたいのは決して”おばあちゃんの手料理”といったモノではないんです」。古き良き時代の味を懐かしむだけでは、郷土の食を今の台所につなぐことはできないと佐佑子さんはいいます。そんな彼女のおおらかさの中にある、芯の強さ、使命感のようなものを、反映していくためにも、大自然と溶けあうような平屋建てのデザインが計画されていきました。めぐる季節や、空の表情と共に暮らし、呼吸するような建物でありたい。そしていつも、美味しい匂いや会話に包まれるような場所に。そんなイメージをひとつひとつ、かたちにしていきます。

山野海川、あらゆる自然からの恵みがここに集う。丁寧に下ごしらえをし、素材を生かした調理の作業を経て、味わい、語らい、分かち合い、そして伝えあう。そのすべての過程が、建築の骨格となっていきます。動的・外的な場が、内的・静的な空間へと、つかつ離れずの関係で繋がっていく。時間軸も空間軸もゆるやかにほどけあう、たくましくておおらかな“台所”の誕生です。

「このあいだ母の姿を思い出しながら、竈でごはんを炊いてみたの。それでわかったんだけど。電気釜って本当に便利ね!」と佐佑子さんは楽しげに笑います。はじめちょろちょろ、なかぱっぱ。薪で焚くごはんは、火加減で美味しくもまずくもなります。炊きあがるまでの30分間、ずっと火についてなくちゃいけない。電気釜ならスイッチを押すだけでいい。だから、昔は良かったという理論だけで次代につなぐのは無理な話。「でも竈につきっきりで炊いたごはんは、さすがに一粒たりとも無駄にせず食べようという気持ちになるわね」。羽釜の底のお焦げも香ばしい。

「伝承」メニューを掘り起こして、つくってみる〜食の探究心を自在にかなえる空間設計〜

「教師をしていると、教科書では教えられないことがたくさんあることに、気づかされるのです。たとえば昔の生徒さんが『うちでは正月は雑煮ではなく、ぜんざいを食べる。みんなと違うから恥ずかしくて当時は言えなかった』というんです。それから、お父さんが漁師のお家は、仕事明けの朝食は魚をあえて煮付けにするとか」。

「そんなことは学校で教えないでしょう。テレビや本で世界中の食のことは知っていても、案外、地元に根ざした食のことを知らない。大分は、海の幸にも山の幸にも恵まれたところなんです。冬でも新鮮な食材が採れる大分には、大分ならではの食があるはず。京料理や加賀料理のようにあか抜けた料理じゃないけどね」。

大分の宇佐市は、まさに食材の宝庫です。遠浅の海で新鮮な貝が捕れる。気候は温暖で、平野には農作物がふんだん。さらには山も近い。つまり、山野海川に育まれた、さまざまな食材を手に入れることができる土地です。また外食産業があまり進んでいないため、地元の食材を生かした家庭料理が今も息づいています。そのすべてを縦軸に「屋敷構え」を横軸に、空間が構成されていきます。

山野海川を賞味する台所の構え

かつての“屋敷構え”を再構築してみる〜自然と繋がる暮らしの空間デザインとは〜

昔の農家は、生け垣や屋敷林で囲まれた中に食料を保存し、薪をストックする蔵や納屋があって、井戸や畑もありました。その構成全体を「屋敷構え」と呼んでいます。裏山では、木の実や山菜も収穫できる。これが、かつての農耕社会の生活の一単位だったのです。

【生活工房 とうがらし】もまた、そんな「屋敷構え」を再構築しています。外にひろがる自然との境界線を取り払い、有機的な暮らしの動線と、建物の内と外に描くような空間を計画していきます。コテージに並んだ3つの小屋には、薪、道具、肥料が納められ、内外で行われる日常的な作業がスムーズに営まれていきます。外の水場で、自然の作物を洗い、内の台所で調理していく。釜から立ち上る湯気が、外に流れて、夕焼けの雲と混じり合う。見えてくる景色すべてが、伝えたいものだと考えています。

畑を耕したり、薪を作ったり、落ち葉を集めて堆肥をこさえたり。「屋敷構え」というのは労働の構えでもあります。前庭は作物を加工するための作業場で、キレイに掃き清めたピカピカの土の上に、むしろを広げて豆や籾を干す。軒下で干し柿やかんぴょうをつくる。家の内と外、すべてをひっくるめて、食をめぐる暮らしが成り立っていることが、今回の工房の計画にも反映されています。

食べるための労働を見直して、空間設計に反映していく。

これらの作業はすべて、数十年前までは、日本のあらゆる地域で見かけられた風景です。つまりそれは、食べ物が生まれ育ち、口に入るまでの過程。まさに食べるために必要な労働です。「とうがらし」では、これらの仕事をひとつひとつ新たに組み直しました。そして空間のなかに、そういった労働のひとつひとつを体験できる仕掛けを創っていきました。

本当にエコな暮らしは、ずっと昔からあったもの〜深い軒に雨水を貯める外流し〜

軒下の外流しの洗い場は、さまざまな下ごしらえの場所。イワシなど生臭い魚介もザブザブ洗える、たっぷり大きな外流しが重宝します。「今日は、水が綺麗ね」と佐佑子さん。降り続く雨で、澄んだ雨水がなみなみと貯まっています。上下二段のしつらえにすることで、包丁研ぎや魚をさばくなど、立ち仕事も楽にできます。水下段に注ぐ水は、泥つき野菜や地のついたまな板などの下洗いに活躍します。貯め水を2段階に使い切る、エコな仕掛けです。

とうがらし イラスト計画案

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掲載誌 住宅建築/1997年12月号 特集「早く家に帰りたい」近作5題
掲載誌 チルチンびと/1999 WINTER 07号 特集「伝えたい、郷土の食の豊かさ」
掲載誌 室内 1998/NO520 ・九州のムラ vol.18