民家の蘇生 松本邸(埼玉県小川町 1980年)

民家の蘇生 松本邸(埼玉県小川町 1980年)

本質は、この家に積もった歴史の煤払い。

敷地は見渡す限りの山々まで・・・。建物の築年数を問えば「いつ頃かは定かではないが・・・、柱や梁のキズは江戸時代の百姓一揆の頃・・・」気の遠くなるような広さと時代背景。さらに住み手の生活レベル、意識、広がりなども、せこせこした我々とは一桁違う。つかみどころのなさが自由を感じさせた。しかし、それがすぐにプレッシャーに変わったわけだ。迷いに迷った。そして、一つのことがわかった。なぜ住めなくなったのか。構造の老化?機能の不便さ?いずれも的外れで、本質はこの家に積もった歴史の煤払いだと察した。

だいたいにおいて、”民家”というと「梁や柱に物語性が潜んでいて・・・」などと判ったようないいかたをする者が多いが、むしろ問題なのは今の住み手にとって何が必要で、何が足手まといかという一見冷たい目を持つことだ。物と人の長すぎる付き合いには必ず歪みが生まれる。ましてや、何世代もということは、同じ家系にあったとしても、別の時代に生まれ、生きる人、いわば別人がひとつの器で暮らす、そこに民家の問題点があるわけだ。