高知出身の日本植物分類学の父、植物学者:牧野富太郎博士を知ったのは、好きな建築家:内藤廣さんが設計した牧野富太郎記念館(1999年竣工)を建築の雑誌で見たからです。その建物は博士が逝去した後、彼の業績や活動、志を形にした高知県立牧野植物園内に、新たに計画されました。楕円形の中庭を囲む折れ曲がる大きな屋根が特徴的な建築は、当時には珍しく「建物を周囲の木々よりも低くして、環境に溶け込ませる」というコンセプトでした。周囲の風土や環境を生かして、建物を主役にしないその思想や、建築や環境を育てる長い時間軸にも共感しました。
長い間、見てみたいと思っていましたが、実際に植物園に訪れることができたのは、今から数年前。施設は完成から18年経過していました。計画時、建物を建てるために造成され、裸になった山の表層は、まわりの木々が大きく成長して再生しました。そして、建物は、まさに当初の計画通り、周囲から全体を見ることができない空間になっていました。
建築もさることながら、長年、この施設を運営、監理されているスタッフやボランティアの皆さんの日々の努力や思いが、とても感じられる空間になっていました。
それから、牧野さんも好きになって、もっと知りたくなり、彼の著者や関連書籍などもいろいろと読みました。また、高知を訪れたので、市内の街並みや建築を見学したり、美味しいものを食べたり、知らなかったことや新しい世界が広がりました。
私にとって建築は、新たな出会いや世界を見せてくれる扉でもあります。
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