【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】家族を見守る玄関ポーチのウッドデッキ
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】家族を見守る玄関ポーチのウッドデッキ
私にとって日常は、軽やかに前進するというより、ささやかな「行ったり来たり」の積み重ねだ。いくつもの「行ったり来たり」を、いかに大切に、いかに心地よく過ごせるかどうかは、人生の「色合い」を決めていく。我が家の「行ったり来たり」を、おおらかに見守ってくれるもの。それは、玄関ポーチのウッドデッキ。
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】春も活躍する薪ストーブ
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】春も活躍する薪ストーブ
4月。柔らかな光と、花と緑に包まれながらも、急に冬が戻ってきたような寒い日があったり、かと思えば、せっかちな初夏が顔を見せたり。ころころと変わる寒暖差に、体も心も、振り回される。そんな時、我が家に、穏やかさをくれるのが、薪ストーブだ。濃く深く、芯までぐっと暖まるような「冬ストーブ」とは違って、「春ストーブ」は、もう少しゆるく、ラフな付き合い方になる。
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】こどものころの菜の花の思い出
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】こどものころの菜の花の思い出
散りゆく花を見送る、一抹の寂しさ。それを癒やしてくれるのも、やはり花たちだ。春のバトンを渡すように、次々と咲いてゆく花の姿は、それぞれに優しく、美しい。なかでも菜の花は、春のムードメーカーだ。その突き抜けた明るさは、見ているこちらまで明るくなる。一緒に笑いあいながら、新緑の季節へと歩いていきたくなる。
【設計事務所が建てた家に暮らすひとの日常】椅子の記憶
子どもの頃の私にとって、椅子はとてつもなく自由で、素晴らしく想像力をかき立てる、最高の遊び道具だった。ダイニングテーブルを囲むいつもの椅子を、リビングの真ん中に引っ張ってきて、ふたつみっつ並べれば、そこはもうコンサートホールになる。
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】春のそわそわ
春になると、そんなすべてをほっぽり出して、裸足で叫び出したいような、空を飛び回りたいような、小川で水浴びをしたいような、草原を転がりたいような気持ちが、どうしようもなく湧き上がる。理性と感性と野性がとろけ合うような、この季節が、たまらなく好きで、そわそわと落ち着かないのだ。
【設計事務所がつくった木造住宅に暮らすひとの日常】うぐいすの鳴き声 発声練習
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】うぐいすの鳴き声 発声練習
よく通る旧道の脇に、山道に続く薮(やぶ)があって、桜の開花の少し前から、発声練習を始める鶯がいる。注意深く聴いていると、少々たどたどしい「囀り(さえずり)自主練」は、同じ鶯の声だとわかってくる。彼には、彼なりの流儀があるらしく、まずはホーホケ、ホーホケの箇所だけをゆっくり、念入りに練習する。次にケキョケキョの後半を、結構なスピードで繰り返す。
【設計事務所がつくった家に棲む日常】春の音 薪ストーブの薪集め
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】春の音 薪ストーブの薪集め
家の近くに、薪ストーブに使えそうな枝木を、ご厚意で分けてくれる樹木の伐採会社がある。我が家に軽トラはないので、私は軽自動車で、薪を頂きに行く。クルマのバックシートをフラットにして、一面にブルーシートを敷き、そこに積めるだけの薪を積んで帰る。薪活に最適な季節は冬で、他の季節と比べて水分が少なく、カラリとした木が多いからだ。
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】我が家の洗濯と室内、野外の物干しスペースの問題について
【設計事務所がつくった家に暮らす日常】我が家の洗濯と室内、野外の物干しスペースの問題について
1階も2階もデッキは十分に広いが、ルーフバルコニーを作らなかった為、雨の際に洗濯物が濡れてしまう。二階の廊下は、横幅が狭すぎる。さまざまな場所でトライ&エラーを繰り返し、洗濯スペースは、大きな開口部に面したリビングの窓際に落ち着いた。ここなら、夜に大量の洗濯物を干しても、夏は風通しがよく、冬は薪ストーブで乾きやすく、生乾きの匂いも残らない。洗濯における、すべての動線もスムーズだ。
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】原っぱは野の草花の宝庫
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】原っぱは野の草花の宝庫
幼い頃住んでいた家の近くに、大きな社宅があって、その敷地内に広々とした原っぱがあった。のどかな時代だったのだろう。整地もされず、駐車場にもならず、遊具も何もない、まぎれもなく純度の高い"原っぱ"だった。その原っぱは、社宅の住人でなくても、自由に出入りができた。だからいつも誰かが、原っぱにやって来る。あちらで野球をする子がいれば、こちらでは親子が縄飛びの練習をしている。賑やかに走り回る鬼ごっこのチームもいた。いくつかの遊びが同時進行しても、なんら問題ないぐらいの、懐の深い遊び場だった。
【設計事務所がつくった家に暮らす日常】アンティークドアをリメイクした玄関の姿見
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】アンティークドアをリメイクした玄関の姿見
子どもたちも小学生になり、僅かではあるが、鏡に突撃しない程度の落ち着きが備わった。今こそ、大きな鏡を我が家へ誘う時ではないか。子どもたちには、外に出る前に、鏡の前で自分と向き合い、身だしなみも、心も清らかに整える習慣を身につけていってほしい。もちろん自分自身も、そういう人でありたい。しっかりと全身が映り、玄関の空間にも馴染むような、良い鏡が欲しい。
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】おままごとと木造の家の記憶
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】おままごとと木造の家の記憶
子どもの頃、近所に立派な一軒家が建つ予定だったのだけれど、柱、梁、屋根といった骨組み部分を完成させる「棟上げ(むねあげ)」までしたところで、施主と工務店が喧嘩別れをしたとかで、工事は止まり、しばらくそのまま放置されていた。大人たちは「早く解決して、壊すなりなんなりして欲しいわ」なんてぼやいていたが、子どもたちは大喜びだった。この骨組みの家は、間違いなく「おままごと」に使えるからだ。
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】「牧野植物園」の庭 ギンリョウソウ
【設計事務所 独楽蔵の家に住むひとの日常】「牧野植物園」の庭 ギンリョウソウ
「ギンリョウソウは、もうご覧になりましたか」そう話しかけられたのは、もう何年も前のこと。高知にある「牧野植物園」を訪れた時だった。植物が好きで、好きで、大好きでたまらなかった植物分類学の父、牧野富太郎博士の世界を具現化したような、その自由な空間。五台山(ごだいさん)という豊かな自然環境をそのまま活かした園地には、牧野博士ゆかりの3000種類以上の植物が大切に育まれていた。